過去のだいたい2023年に書いたBlog postをATProtocolに放流するために載せます。
例えば、「認識しうる全ての命題の総体」が与えられたとし、論理空間と名付けることにするとする。
最近僕が考えていることの走りです。
世界に存在する我々が認知し得る有限な論理命題の集合があったとする。
実はこのポスト書き直しなんですが、前回は前提として、2つの集合を定義してから話を展開してしまった。それは、自分について語りたいというのと、テクノロジーの進展について周りの人間に理解してもらいたいという複数の目的が合ったことが原因だと思います。それでおそらく多くの誤解を招いてしまいました。少し先程の論理空間を拡張して世界には「認識し得るオブジェクトの総体があるとする」とすると、僕がまず真っ先に大前提にしているところが言えるかなと思います。
さらにオブジェクトはそれを定義するための論理命題の部分集合をはらんでいる。そして、命題はさらにオブジェクトをはらみ、そのオブジェクトは論理命題の部分集合になっていて、と言うこの連鎖は終わらない。
そして、個体によってその部分集合の内実が異なる。だから主体は伝達を迫られる。
だいたい僕が考えていることです。
数学では、「一定の条件により定められた対象のまとまり」のことを「集合」と呼びます。その集合の中の対象ひとつひとつのことを集合の「要素」といいます。この考えは非常に便利なんですね。
この集合を効率よく表現しなければなりません。先程も言ったように僕らは伝達を迫られる。数学において、集合は実に様々な表現のされ方がします。実はこれはとてもおかしな表現で、僕らが認識し何か表現をした時点でその形になったものは言葉だろうが数式だろうが何かしらの集合の要素を示しています。つまり、「集合には如何様にも表し方がある」のですね。まずは、この理解を持っておきたいです。つまり、ぼくらは一番都合の良い集合の表し方を探せばいいんですね。関数だろうが、その極座標表示だろうが、直交座標表示だろうが。この表現は僕がGood design賞の個展を見に行った後に書いたpostに「ロゴスとパトスの対応」のメタファとして機能していますが、こういう背景があります。表現とはやはり難解ですよね。
集合を表記するうえで一番都合が良いなと僕が考えているのは、線形代数における「線形結合」の概念です。たぶん、数学に少しでも詳しい方は皆さん納得していただけると思います。線形結合が面白いのは、ある空間における線形独立な基底のスカラー倍の足し算でその空間の要素全てを表現することを可能にすることです。急に難しくなってきましたね。一つ一つ行きますね。
まず、線形代数において集合のことは空間と呼びます。なぜなら、表される式・関数が幾何的な図形に(たぶんほとんど)「一対一対応」しているからです。「一対一対応」も厳密に定義がありますが、今回は「式と図は対応している」それでいて「だから集合は空間と呼ばれる」くらいの理解で大丈夫です。ぼくらが扱う対象のまとまりのことを集合と呼んでいましたが、それを線形代数では空間と呼ぶわけですね。少し不思議な気持ちがしますが、頭の中に図を描いて慣れると楽ですね。
次に、「線形独立な基底」についてですが、線型独立というのは「被らない」位に思ってもらうと助かります。基底というのは「空間の基になるベクトル」のことですね。ベクトルというのは今のところただの数値だと思ってください。つまり、基底というのは「空間を現す基になる基本の数値」です。空間をそれ以上分割できないように切り分けて得られた最小の数値ということになります。お、なんか原子の説明みたいですね。僕はそういう考え昔から好きなのかも。その数値をうすーく引き伸ばしたり、きゅってまとめたりして(スカラー倍して)、同様にスカラー倍した他の数値と足すことで空間の要素のすべてを記述するわけです。この場合、空間の要素は数値でなければなりませんが、僕は「任意の対象は何かしらの形で数値に変換できる」という立場を取ることにします。その数値の取り方、その項目は無限にあると思っています。つまり、「任意の対象はほぼ無限の規定を持つ線形結合で表される空間によって表される」と主張したいと思います。これは実は千葉雅也氏(精確にはドゥルーズなのかな)のリゾームの概念と一致しています。そして、それらのスカラー倍の係数は時々刻々変わっている。どのようにか、何かしらのフィードバックに依る”勾配降下”で。このような考えは、千葉氏の生成変化の考えと一致していますね。僕はすべての対象を、このような集合とその表現法で認識しています。されにリゾームやあるいはそのなかの各ノードやエッジを一つのObjectと捉えてもいる。Objectというのはプログラミングの文脈で出てくる概念です。OOO(オブジェクト指向オントロジーという哲学もあるそうです)ノードやエッジはグラフ理論に出てくる考え方です。これらは今日は少し話がずれるので、今日は割愛します。
少しまとめると、「どんな概念であろうと、その集合は空間として、線形結合で現すことが出来る」僕はこういう風に思っています。これの何が便利なのかと言うと、現象であろうと象徴であろうと僕らは、「基底さえ見つけてしまえば」その集合の全てを表現できたことになるわけです。厳密にその空間の全てを言う必要はありません。例えば音楽の基底は?とか、科学研究の基底は?とかそう、抽象的に考えればいい。数学的に見ればおそらくそれは「オブジェクトの総体」を示す空間についての”部分空間”になっているのでしょう。僕らは数学者ではありませんからそれらが本当に部分空間なのか厳密に数値化して計算する必要はなさそうですね。ただ、なんとなく、そういう風に考えたら便利そうじゃないですか?僕は少なくとも適度に力を抜いてテキトー、ちゃらんぽらんにこういう考え方を道具として用いています。結構、役に立っている自負があります。言葉って便利ですね。加えて数理って素晴らしっ。
ここまでで、なんとなく、世界の捉え方と言うか、僕なりの「認識の仕方」についてまとめることができました。別に偉そうにしようってんじゃないんですよ。ほんとに。こういう「物事を単純に分割してそれを構築することで対象を現す」って論法は昔っから行われてきた。先程も言うように集合にはいかようにも表し方があるので、たぶんこの手の論法もほぼ無数にあるのだろうと思います。だから、あくまでこれは20歳の田舎のガキンチョがそういう考え方をしている、位に抑えてもらうとありがたいなと思います。
例えば、うちの研究室の研究は簡単に言うと「ただの砂から意味のある材料を創る」研究です。これは理学的に考えると非常にすごいんですよね。よくやろうと思ったなという感じ。前にも言ったけど、8つも組成があるんです。うちの砂。シュミレーションの話も考え尽くしましたが、たぶん、2024年12月12日現在だと有効なシュミレーションの手法はないんじゃないかなと思う。あったとしても実験したほうが早いのでは?不勉強なのでわかんないですが。理学的には多分太刀打ちできない。それを実験的にやってるわけですね。それはある種化学者が長年やってきたことなのだけど。そんなことより、「ただの砂」という基底が拓かれることに僕は結構魅力を感じます。例えば、アモルファスや非平衡な熱力学、スピノーダル、非線形な数学や体論や群論を用いた化学研究やAIの開発、そもそもAIが力業で解いてしまっている数学の数理的な解、厳密解のないCFDや第一原理計算の解放の探索、もっともっとあると思います。僕はそれらについて考えるとよだれがとまりません。(比喩です)どの規定をどう伸ばしたり、きゅっとしたりして、あるいは新たにどんな規定を導入すればできるんだろう、と、考えるだけで僕は楽しくなってくる。
例えば音楽の話をしましょう。先程も一度出てきたのですが、ボカロ、皆さんどうしてブレイクしたと思います?僕は機械とインターネットという基底の導入によって人に歌わせることを目的としていないpopsの探索空間が広がったからだと思っています。松田聖子に、『ハチ』(現;米津玄師)のサントラ渡したら絶対切れられるでしょ。少なくとも僕はそういう風に認識しています。「良い音楽」という部分空間のうち探索可能な空間が拓かれたんです。テクノロジーの手によって。少なくとも僕はそう認識しています。それはこれからのAIの時代においてもそうだと思います。どうあるべきか、というよりも見たこともないものを、ぼくの想定を超えてくるものを観れることについて僕は純粋に楽しさを感じている。わくわくして仕方ないんですよ。
おそらく、どんな分野でも、僕はその手のわくわくすること、すなわち誰も見つけていないスカラー倍の組み合わせや基底の発掘にきっと尻尾を振ってやまないと思います。”どんな分野でも”というのをご理解いただくためにわざわざ集合論を持ち出したわけですが、いいたいことはただ、僕が、そういう興味を持っている、という自分語りですので、悪しからず。